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基本のき ご存知ですか?裁判員制度

「裁判員制度」とは、殺人、放火など重大犯罪の刑事裁判に市民を参加させ、裁判官と一緒に有罪か無罪かを決めさせ、有罪の場合はどんな刑罰(死刑とか無期懲役とか)にするのかも決めさせる制度です。

順調に進んでるって新聞に出てたけど?

最高裁、法務省、日弁連執行部、大手マスコミは裁判員制度を絶賛しています。しかし、2011 年1~2 月に最高裁が行ったアンケート調査でも84%の市民が裁判員を「やりたくない」と答えています。また、呼び出しを受けて出頭する人の数も全体の38%程度に落ち込み、事件の滞留がひどい状況になっています。つまり、もう危機的な状態なのです。

裁判所に呼び出されたら出頭する義務があるの?

裁判員制度は「国民の義務」と勘違いしている人もいるようですが、憲法が定めた国民の義務は「勤労」と「納税」と「教育を受けさせること」だけ。裁判員になる義務など憲法にはありません。裁判員制度は、憲法にない義務を国会が勝手に決めたものです。
死刑制度に反対の人も、わずらわしいことにはかかわりたくないと思う人も、裁判所の呼び出しを拒否できません。理由なく応じなければ過料(行政刑・罰金のようなもの)です。
しかし、欠席して罰金を科せられた人はこれまで1 人もいません。多くの人が呼び出しを拒否している中で、実際に処罰を断行すれば大変な騒ぎになるでしょう。彼らがやりたくでもやれない状況を私たちがつくっているということです。

血まみれの凶器とか死体の写真とか見せられて頭がおかしくなりそうです。

裁判員経験者の中には、夜眠れなくなったり、PTSD になって失職した人も出たと報道されています。「何ヶ月経っても裁判の夢を見る」とか「同じような事件報道を聞くと胸が苦しくなる」と訴える人もいます。最高裁は、24 時間体制で5 回まで無料の電話相談に応じると言っていますが、PTSDが5 回の相談で治ると思っているのでしょうか。
裁判中に仕事を休んで店の売り上げが落ちたって、裁判所はその売り上げをもちろん補填してくれません。

裁判に市民の常識を反映させるっていうのはよいことでは?

これまでの裁判でえん罪事件などがたくさん発生したこともあって、「市民の常識や感覚を裁判に反映させるのは良いことだ」と思う人も確かにいます。
しかし、裁判員制度は、「これまでの裁判は正しく行われてきた」と主張する人たちが推進して作った制度です。「国民は裁判官の隣に座って裁判官がやっていることを勉強して帰りな
さい」と言っているのです。そこにはえん罪事件などに対する反省は少しもありません。裁判員裁判で無罪になったところで、検察官が控訴して逆転有罪になってしまえばおしま
いです。最近そういうケースが相次いでいます。
有罪になったケースでも、裁判員経験者から「目に見えないレールが敷かれていた」「裁判長の誘導があった」「僕らがここに座っている理由がわからない」などの声が出ています。

公判前整理手続きで証拠が前よりもたくさん出てくるようになったとか?

勉強されたようですね。でも、あなたがお聞きになったのははっきり言ってデマ情報です。
何を開示するかは検事の胸ひとつで決まるという構造は基本的に変わっていないのです。裁判員裁判の前に行われる公判前整理手続で被告人の防御の仕方がガチガチに固められ、被告人の防御権が決定的に制約されてしまうことこそ、最大最悪の問題点です。

凶悪犯罪が増えているから仕方がないのでは?

「凶悪犯罪が増えているので市民の手で治安を守る必要がある」と言う人もいます。
実際は、いわゆる凶悪犯罪や少年犯罪はもちろん、犯罪件数全体が毎年減少しています。
ここには誇大報道という世論操作があるのです。「治安強化」策は管理体制強化政策の産物と言ってよいでしょう。私たち自身をむりやり治安維持と処罰の先頭に立たせようとするとこ
ろに裁判員制度の本当の狙いがあります。

では、私たちはどうすればいいのでしょうか?

最高裁、検察庁、日弁連執行部、そして大手マスコミは、順調だ順調だと叫んで必死の推進キャンペーンを展開しています。
でも、何度アンケートを取り直しても、8 割を超える国民がこの制度にそっぽを向いています。そっぽを向くのは第一歩です。それからが大事。どんな悪法=制度も自然にはつぶれません。治安維持法も敗戦によって当然には廃止されませんでした。「現代の赤紙」による国民の強制動員政策は、私たちの運動の力で叩きつぶすしかありません。その行動こそこの国を正しい方向に向けさせる原動力になります。