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みんなの声

茨城 丹羽民夫

 5月半ば、水戸地裁から『呼出状』が来た。
 私は、昨年秋の『名簿記載通知』送達の時以上の憤りを覚えた。どちらも、未だ封も切らずに手元にある。候補者IDは10050-05366とある。
 ようするに呼出状は、「選任手続きに来い」という命令書だ。実は選任手続き時、裁判員候補者には、憲法第38条1が保障している「供述を強要されない」権利=黙秘権がない(裁判員法34条3)。
つまり呼出状は、選任手続きへの出頭命令書であると同時に「お前の黙秘権を取り上げる」という通告書とみなすことができる。私は、日本国憲法の下に成立している政府が定めた課程の義務教育を受けた、ごく普通の「国民」だ。その教育で私は、憲法はすべての人々の基本的人権を最大限に尊重していると教わった。だから呼出状の送達には即「私の基本的人権が踏みにじられた」と、日本国民として至極当たり前の思考論理で憤りを覚えたのである。
 「貴重な体験をした」「問題意識を持つようになった」。意気揚々と語る「経験者」たち。しかし、基本的人権を抑圧・制限して/されて、何が「貴重な体験」、そして何に「問題意識を持った」のだろうか。実は自分たちが、人権抑圧容認の前例になったことには、何の「問題意識」も持っていないようだ。彼らこそ、本当に「問題な」人たちだ。

埼玉 男性

 私は埼玉に住む27歳の男です。br>  私も裁判員制度には大反対です。
 第一回目でしたっけ? 裁判員制度は口外してはならいないとあれだけ報道しといて(記者会見)まで開いていましたよね?
 私だったら断りますけどね。裁判そのものを冒涜して軽視しているとしか思えなかったですね。
「評議の秘密その他の職務上知り得た秘密」の内容も今ひとつはっきりしてないような気もします。
それにはっきり言ってしまうと裁判員に選ばれた人の程度が低すぎますよ、あまりにも。
押尾容疑者裁判の裁判員に選ばれなかった人が「今回の裁判おもしろそうだったんですけどね」とテレビで言ってましたが、自分の妻や子供が殺されても「おもしろそうな」裁判と言うのですかね?あまりにも司法の程度を下げたとしか思えない制度な気がします。
頑張って下さい。

三重 青木孝平(大学教員)

 裁判員の呼出状を「現代の赤紙」というのは単なる比喩ではない。それには客観的な根拠がある。参審制や陪審制など裁判への国民参与を義務化している諸国では、ことごとく(アメリカのように一時停止している国も含めて)国民の徴兵や徴用が憲法上認められているからである。考えてみればこれは当然であろう。兵役の義務が、国民に外国人を殺戮し捕虜にすることを命ずるのに対して、裁判員の義務は、国民に内国人を殺し人身の自由を奪うことを宣告させる。両者は同一のメタルの表裏なのである。こうしてみると、裁判員としての強制徴用を「市民の司法参加」として称賛する制度推進派は、同時に、兵役の義務をも市民の治安参加として受け容れざるを得ないことになろう。  国民を国家の体制統合に総動員する改憲策動は、なにも保守的な復古主義として現れるとはかぎらない。むしろ巧妙な大衆民主主義的言辞を弄して、市民の公共参加という一見リベラルな相貌をもって登場してくる。裁判員制度はその典型である。それゆえ私はこの「現代の赤紙」を断固として拒否したいと思う。

佐賀 岩田貴之

 上から言われる「参加」が民主主義なわけなかろうもん。裁判員制度はせからしか(うるさい、面倒くさい、手間がかかる、うざったいなどの意味)制度。せからしくて、どうしても自分たちではまっとうな裁判ができないから市民も参加してくれちゅうなら考えてやらんこともない。そのときは裁判官の給料は半分、最高裁長官はその上でボーナス全額返上してからだ。
自分の仕事がまっとうにできない奴になんでそんな高い税金払わんといかんね。

福岡 諸岡研介

 裁判員制度を容認する左翼弁護士がいる。 私にはそれが戦争の時代の怖さをほんとうにはわかっていないように思えてならない。  民主主義社会には、たしかにいろいろな考えがあっていい。しかし、ナチスのアウシュヴィッツを許せますか。どうしても否定するしかない考えも、たしかにあるのです。たとえば、小説を書いたというだけで、たたかれたたかれたたきぬかれて、殺されてしまった人間ひとりに思いを致すだけでも、われわれ日本人が学ぶべき最重要課題は、あの戦争のことをおいてないのです。あれほどばかばかしい、むごたらしい、かなしい、くるしい、 おそろしいことを二度とくりかえしてはならないからです。
 裁判員制度なるものを考えるのに、おのれの知識、インテリジェンスを過信しこれを論理だけで片づけようとするのは、浅はかです。テキは、壮大なかまえでわれわれにせまってきているのですから。

茨城 かざぐるま

 私たち一般人は、一生のうちで裁判に関わるということは、おそらくあまりないと思います。
 そんな私たちが、何かな法律の勉強をしてきた専門家のやるべき裁判に関わることが良いことなのか疑問です。テレビや新聞等で、懲役何年とか見聞きすると、感情に任せて刑期が長いとか短いとか、死刑にしろとか、簡単に言ってしまいがちです。テレビや新聞などの一方的な報道に振り回されているのかもしれません。
そんな私たちは、裁判官とか検事の言動に引きずられてしまうような気がします。確かに裁判の事を理解したり、考えたりする機会かもしれないけれど、私たち一般人には、裁判員制度は重すぎます。

東京 K・Y(公務員)

 昨年、同僚に通知が届きました。「宝くじに当たらないのに、なぜ、こんなものに当たるの」と泣いていましたが、その後、足を骨折し「これで裁判所に行かなくても済む」と喜んでいました。「現代版塞翁が馬だね」と笑いましたが、同僚は真剣に「裁判員に選ばれるし、骨折はするしロクな年じゃない。お祓いいに行こうかしら」と言っています。「初詣は行かない。占いも信じない」と常々豪語している同僚をして「お祓いに行こうかしら」と言わせる裁判員制度、恐るべしです。

東京 軽部美保(主婦)

 裁判員裁判は理性が感情に押しつぶされる裁判。裁きというものは理性的に行われるべきだ。私が被害者であろうが、加害者であろうが司法の専門家に裁かれたいと思う。裁判員制度がなくなるまでは、どんなことがあっても被害者にも加害者にも絶対になりたくないと切に願う。

大阪 岡本恵里子(主婦)

 私は、「逮捕された」と聞けばそれだけで「本当の犯人」が捕まったと思い、ワイドショーなどを見てると「とんでもない悪人や」と思ってしまう。冷静に判断?そんなんあかん、できへんのん決まってるやん。勘違いして被告に説教してる裁判員いるやん。私も偉そうに説教してしまうやろ。こんな私やから、裁判員には絶対になりたくない。

大阪 岡本隆史(高校2年)

 中学で裁判員制度を勉強したけど、先生もなんでこんな制度を導入したんか説明できない。クラスのほとんどが「やりたくない。反対や」と言うてた。「やりたい」と言う奴はいけ好かん奴1人だけやったわ。俺のおかんは「冤罪やった」と聞いても「そやけど、何かしたから捕まったん違うの」などと言っている。近所のおっさん、おばはんも似たり寄ったりの感覚や。俺はおかんみたいなんが裁くことになる裁判員制度には絶対に反対や。少なくとも俺はおかんには絶対に裁判員になって欲しないわ。

埼玉 門間幸枝(無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巌さんを救う会副代表)

 裁判員制度に伴い導入された公判前手続きに時間がとられ、起訴後1年を経過しても裁判日程が決まらないケースがあるという。公判前に、非公開で裁判官・弁護人・検察官だけで争点と証拠がすべて整理され、その結果が公判で拘束力を持つこと自体が大問題だ。証拠を開示するか否かは依然として検察側と裁判所が握り、弁護活動は規制されている。これでは、憲法で保証されている基本的人権の尊重が侵害され、無罪推定から始めなければならない原則が崩される。裁判官には公判前に証拠が開示されることで、予断審理の危険性をはらみ、新たに導入された「被害者参加制度」がプラスされてえん罪が生まれる。この欠陥を直視すると裁判員制度は廃止しなければならない。そして、何よりもえん罪の温床と言われる代用監獄の廃止と、取り調べ室の全面可視化を含む刑事司法の改善が先決である。憲法76条には「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行使する」と規定されている。
  裁判所は弱い立場にある市民の最後の砦であるべきだ。

熊本 赤紙コワイ

 裁判員制度が実施されて1年が過ぎた。新聞によると裁判員の役目を終えた人たちは口を揃えて良い経験になったと意見を述べているが、私は「ええっ嘘でしょ?」と心の中で反論している。人を裁くことが良い経験?そんなはずはない。苦しい人もいるはずだ。悩んだ人もいるはずだ。罪を犯したとはいえ、その人の人生を数日の審理で決定するような重い責任を背負えるほど私は強くない。守秘義務とやらで誰にも悩みを話せない。人を裁くことによって苦悩する私の心を誰が癒やしてくれるのだろう。いったい、だれの何のための裁判員制度なのか、考えても考えてもわからない。

東京 K・M

 いつも襟元に「裁判員制度はいらない」のバッジをつけ、熱心に反対運動をされているYさんのお誘いで集会に参加しました。裁判員制度を始めるにあたり「やらせ」の公聴会があったことを初めて知りました。また、斉藤文男先生(九州大学名誉教授)の「裁判員制度は憲法違反だ」というお話が印象的でした。そして、反対を主張されているみなさんが事前に指摘されていた問題点が、この制度が始まってすぐに、明らかになったことも知りました。翌日から、テレビや新聞の裁判員制度に関する報道を気にかけるようになりましたが、裁判員経験者の「良い経験をした」「一般常識をくみ取ってもらえて良かった」というような発言には、本当にそう思っているのかと違和感を覚えます。有罪と決めた被告人が、後で冤罪だとわかった時に、無罪を主張した裁判員は「なんで、あの時もっと頑張らなかったのか」と一生悔いることになり、精神的に追い込まれてしまうのではないでしょうか。私は71歳なので、裁判員になることを断ることができるそうですが、だからといって、この制度に無関心ではいられません。やり繰りして税金を払い、子どもを育ててきた私のような市民が、なぜ、裁判員の義務を課せられ、引っ立てられて裁判所に出向かなければならないのか、納得できる説明が当局からあったでしょうか。私は、この制度を潰すために協力したいと「裁判員制度はいらない大運動」のリーフレットと「全国情報」を知人や近所のみなさんにお渡ししました。

石川 K・A(旅館経営)

  陪審制には期待していました。陪審員は被告の側に立ち、検察官の主張立証を検証し、それが正しいと説得された時だけ、有罪を言い渡すけれど刑の判断はしないのです。なぜなら被告側に立つ人間だから。しかし、裁判員制度は違います。検察官と一体と言っていい裁判官と一緒になって、被告を裁きます。裁判員は権力側に立つので、刑の言い渡しまで行えるのです。最近は、被告側に立つべき弁護士さんまで刑の言い渡しに参加するとかで、浅ましい限りです。従業員と一緒に勉強会を行い、商売柄、公にはできませんが、裁判員制度には参加しないと全員が決意しています。

大阪 堀川弘美(大学院生)

感情にまかせて、「こんなやつ痛い目に合わせてやる!!」みたいに裁かれるなんて、こわいこわい。みょ~に正義感溢れた人が多くて、自分は絶対悪いことなんかしません!みたいな、絶対的な正しい位置から物言う人が多くて、最近世の中寒々する。本当にそんなに透明感溢れてつやつやぴかぴかの美しい正しい人なんていないでしょ?そんな疚しさを包み隠すかのように、より一層絶対的正しさから物言う人が多いような気がする。私もだけど。人が人を裁くこと自体、とても危険で、危うい行為。それを、偽りをいっぱいに含んだ「正しき素人」が、集って裁く場合…。無理だろ??

東京 白男川まり子

 新宿の歌声酒場「家路」でチラシを見て昨年5月18日の全国集会に参加しました。裁判員制度のまやかしが理解できて、とても良い集会でした。家路のチラシがなかったら参加できなかったと思います。高山先生の閉会あいさつがまた素晴らしかったですね。反対する情熱がひしひしと感じられました。また,集会などがあれば是非、参加したいです。


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