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みんなの声

法務省 某職員

 最高裁の通知は無視しました。民間業者に自分の情報を提供するなんてとんでもない。でも、地裁からの呼出状には吃驚。懸賞応募では当たりやすいように18歳モデルなんて書いていたのに、こんなものに当たるなんて。虚偽の記載は罰金だとか脅迫文言まで並んでいる。
上司に相談したら「そんなものは無視しとけ。出す必要もない。書かなきゃ虚偽にはならん。裁判員になれない正当な理由があるんだから(法務省の職員ということ)。返信しなきゃ法務省の職員だっていうことがわからないから処罰されるんじゃないかって? できる訳ないだろう。今までだれ一人処罰されていないんだ。せいぜい呼出状を財布に入れて宝くじでも買いに行くんだな」云々.
結局、無視しましたが、旗振り役の自分たちはやらなくていいなんて、胸が痛みます。
みなさんにこんなに嫌われていて肩身も狭いです。同じ嫌われていても消費税は財務省の職員も払うのだからまだましです。
P.S.「全国情報」友人からもらいました。「大運動」のみなさんに敬意を表します。表立って参加をする勇気はありませんが、陰ながら応援します。

東京 坂井美奈子(10 .10・20集会に参加して)

 最初の予定していた会場は100人だったと聞いてビックリ。そのままだと500人近くも集まったのだから大混乱になっていたでしょうね。池田浩士さんの話には引きつけられる素晴らしい講演で、最初から集会に集中できた。誘ってもらって本当によかった。

(編集部:この集会と講演内容は『全国情報』第14号と第15号に掲載されています)

横浜 鈴木洋(10.10・20集会に参加して)

 裁判員制度、市民参加とボランティア、ヒトラーと三題噺でどう結びつくのかと思っていたが、そうだったのかと得心がいった。大抵、集会の講演は寝ていることが多いが、今回は全くそんなことがなかった。周りもそうだったようで、居眠りをしている人が目につかない集会というのは初めてかもしれない。

東京 篠田賢太郎

 「全国情報」第17号の表紙最高!インコ通信の第34号爆笑。ムハンマドのおやっさん怖いっす。
タハリール広場から日比谷野音へ!日比谷野音から革命だぁ!!

東京 A・F

 私は出版社に勤めており、編集者として裁判員制度関係の本を手がけました。裁判員に選ばれたら「裁判員制度の本を作り、問題が多いことを熟知している」という理由で拒否します。裁判員制度はまさにこの国が硬直していることを現していると思います。裁判員制度は廃止しかない。

東京 高齢者介護施設職員

 私たちの仲間も多くが被災地支援に行っているため、東京でも人手は一段と不足しています。そんな中で職員が一人でも裁判員に呼び出されたら、現場は回らなくなります。被災地だけに配慮すれば済むという問題ではないのです。裁判員をやる余裕など、日本中どこにもありません。

足利市 祐子

 裁判員制度のことや原発のことをよく知りませんでしたが、『全国情報』を読んで筆をとる気持ちになりました。こちらの都合はお構いなしに勝手に通知を出して召集し、その中から選ぶという。どういう基準で選ぶのかもわからない、不愉快きわまりないやり方です。
 人が人を裁くのは大変なことです。相手が犯罪人だから何をしてもよいという理屈はないでしょう。裁く身としては例えようもない重荷、心の負担です。そんな犠牲を払ってでもしなければならない理由は何ですか。被災地でも再開されるという報道はただただ驚くばかりです。国民から高いお給料を支払われている裁判官はいったい何をしているのでしょう。

東京 まこちゃん

裁判員候補者の出頭通知書の発送料金は誰のお金なの。日当は誰が出すお金なの。国民には命をかけてもお国に尽くせって言い、政治家は勝手なことをしたりやったりしているだけじゃない。東電社長は福島第一原発に入って作業をしなさい!! 菅首相も一緒に原発に入ってその様子を報告しなさい!! 裁判官は市民を巻き込んだりしないで自分の仕事をしなさい!!

北九州市 兼崎暉

 今年3月、韓国釜山へ旅行に行き、街角のこぢんまりとした近代史博物館を訪ねました。館員が流暢な日本語で「気分を悪くしないでくださいね。でも展示は歴史の事実ですから」と見学の前にちょっとした気遣いをしてくれました。
 展示を見ながら、日本による朝鮮植民地支配は、国家に導かれて朝鮮に渡ったかず多くの日本人民衆なしにはありえなかったことをつくづく考えさせられました。
 国民が国家の意図のままに自分も国家と同じ立場に立って動くことが侵略戦争・植民地支配を可能にしたことを考えると、裁判員制度で裁判員として国家と同じ高見に立って、被告人を裁くというのは、なんとよく似ていることかと今更のように考えます。

川崎市 K S町会長 N老人クラブ会長

 2年前、「くじ」に当たった一人です。半分落選かな。高齢者ですから。やってみたいという気持ちもありましたが、人様を裁くのはどうかというので、結論は決まっていました。縷々書いて提出したら外されました。国民総意の流れの中でできたと思っていましたが、国の側から決めたということがわかりました。役所のやることはだいたい同じで、決まっていることを発表し、皆さんの総意でできたとなっている。

東京 花房愛理華

 東電が東京地裁に「裁判員の模擬裁判にどうぞ」と社員名簿を差し出していたことを知ってビックリ。そういう関係だから、原発差し止めとかの住民訴訟勝てないのね。でも、こういうのって形を変えた収賄とか出来レースとかって言わないかしら?

北海道 M・K

 偽装検察が憲法判断もできない最高裁と一緒になって進めている裁判員制度がまっとうな制度のはずがない。

東京 石川美奈子

検察審査会のことが知りたくて、最高裁のホームページから「検察審査規制度Q&A各種統計」にアクセスしましたが、内容を見てびっくり。こんなものを「統計」というのですか。最高裁はアホと違うかという感じですか、最高裁がアホな訳ないですね。国民をバカにしているのですね。最低限のデータすら出さないのかと思いましたが、最高裁の司法統計は2000年になってでたらめになっていると聞きました。まさに「拠らしむべし知らしむべからず」。最高裁がこんなのだから下級審がでたらめなのも当たり前で、だから検察と一体化してでたらめな裁判をしてきたのですね。なにが「裁判の正統性」ですか。
 偉容な異様な最高裁の横を通るたびに「司法の墓場」という言葉が浮かびます。この墓場には、でたらめ裁判員制度を潰しても、また、何かとんでもないことを考えつく妖怪が巣くっているのですから、まずはこの墓場から大掃除して、妖怪退治をしなきゃダメですね。

兵庫 一瀬雅之

 私は甲山事件を思い起こす。起訴猶予で釈放されたYさんをマスコミは黒だと書き立て、神戸検察審査会は不起訴不当の決議を出し、以後、25年間もYさんの辛苦は続いた。この裁判では一度も有罪判決は出ていない。それにも関わらず、検察は執拗に上訴を繰り返したが、それは検察審査会が「市民の常識」を反映したからではないか。裁判員裁判ならYさんは即、有罪だろう。直近の検察審査会法の改正は2004年、裁判員法制定と同時期である。狙いは、検察審査会が市民の処罰要求を満たし裁判員裁判で市民の処罰感情を満たすということだったのか。
 恐ろしいことだ。

茨城 福島かな

地震は天災ですが、その後に起こっていることは人災です。原発が「安全でクリーン」なんてとんでもない話でした。でも、原発を推進する人たちは安全圏に身を置いているのでしょう。裁判員制度も同じです。「市民参加」でPTSDになってしまう可能性もあるのに、国会議員などは免除されています。結局、犠牲になるのは市井の私たちです。こんなことはもうたくさんです。 

千葉市 関 秀房

  「検察審査会」は「裁判員制度」と同じ市民感覚を司法に生かすという「司法改革」の一環である。10年10月4日、「検察審査会」が小沢元幹事長の「強制起訴」を決定したニュースが流れる。村木裁判で明らかになった検察体質の批判が連日新聞テレビをにぎわしているのを逸らす効果がある。前田検事も関わっていたが、知らされる前の決定である。
 そもそも「検察審査会」とは推定無罪の原則を逸脱していないだろうか。刑事裁判とは「無実」を争うのではなく、検察の有罪証拠が疑い無きまでに立証されているかを判断するもの。強制捜査権を与えられ絶大な力を持つ検察が起訴を見送った者を、市民感覚でおかしいという程度で「刑事裁判」ができるというシステムが間違っている。
 「無実」ではなさそうだから、裁判で白黒つけうべきという市民感覚は明らかに推定無罪に反する。
 押尾学裁判は裁判員裁判になった。しかし、検察が救急車を要請していれば90%の確率で助かったという鑑定を出しているが、その証拠では「無罪」である。90%の確率しかない「有罪」の証拠で「保護責任者遺棄致死」罪を適用することは推定無罪に反している。
 「保護責任者遺棄致死」罪が初めから適用できなければ裁判員裁判として扱えない。市民感覚ではおそらく90%もの確率があるのだろうからとなるのだろう(弁護側はずっと低い確率しかないと反論)。
 従来の裁判が検察の言うことが正しくて被告の訴えに耳を貸さなかった事実はある。だから99.9%の有罪という「実績」を積み上げ、とんでもない冤罪を数多く作ってきた。だからといって、この市民感覚の裁判員制度は従来の裁判を是正できるかといえば、私は否定的である。
 検察の絶対優位なシステム(長期にわたる勾留、秘密の取調べ、私刑を存置しての脅し、不利な証拠の未開示=無罪証拠の隠蔽等)を改革することが先決であるのに、それには手をつけず、被害者感情を裁判にまで持ち込み、ますます推定無罪を遠ざける裁判員裁判は多くの冤罪を生むだろうし、重罰化の方向に向かうことになるだろう。
 NHKの裁判員裁判の番組タイトルが「あなたは人を裁けますか」だった。刑事裁判は「人を裁く」のではない。検察の証拠が疑いないまでに十分証明されているかを判断するものでしかない。裁判員は被告に質問するのではなく検察の証拠に疑問を持つべきである。
 そしてあくまでも被告の一行動でしかない「罪」のみを扱っているのだから、人生を全否定する死刑を多数決で決めることなどあってはならない。
 マスコミ報道を鵜呑みにする市民感覚など裁判にはいらない。


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